法性寺
お久しぶりです、とりのそらねです。
サイクリングをしてきました。
そこで、見つけたバス停「法性寺」!!!
私はつい「わたこ」を思い浮かべました。
百人一首の中で一番名前の長い人です。
ほつしやうじのにふだうさきのくわんぱくだいじやうだいじん
(ほっしょうじのにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん)
江戸時代のかるた遊びでは、作者名をまず読み上げてました。
太田南畝の狂歌百人一首には「法性寺 入道さきの関白を 半分ほどで 沖つ白波」とあり、ちょっと想像すると面白いですね。(一番短いのは、伊勢:なにはが)
競技かるたでは、前の歌(最初は序歌)の下の句ですけどね。
~解説~
わたのはら 漕ぎ出でてみれば 久方の 雲居にまがふ 沖つ白浪
詞花和歌集巻10雑下に「新院(崇徳院)に位おはしましし時、海上遠望といふことをよませたまひけるによめる」とある。詞花和歌集は崇徳院が下命し、藤原顕輔が撰者となり編纂したものである。百人一首では、崇徳院は「せ」、藤原顕輔は「あきか」です。
保延3年(1135)の内裏歌合で、崇徳院の前で海上遠望の題に合わせて詠まれたのがこの歌である。
大海原に船で漕いできてみたら、かなた沖にに雲と見まごうばかりに白波が立っていたよ
その後、「保元の乱」にて、忠通と崇徳院は敵対してしまうという皮肉な運命・・・。
敗北した崇徳院は讃岐に配流、日本最大の怨霊となりますが、明治期に京都へ帰還しました。ちなみに、日本三大怨霊と呼ばれる崇徳院(せ)・菅原道真(この)・平将門のうち、2人が百人一首に選ばれてます。
以上、路線バス好きのとりのそらねでした。